ラテン語を学ぶ感覚って?

こんにちは!kappa です。記念すべき、FUKUI LATIN ブログ記事第一号です。

ラテン語とはどういうものか、だったり、活用表はどうなっているか…といった勉強の内容は調べるといくらでも出てくるので、今回はあえて一歩引いてみて、ラテン語を勉強するということがどういう「感じ」か、という観点で書いてみたいと思います。

単刀直入に述べると、ラテン語の初歩の段階というのは、小学校の初歩の段階で九九を叩き込む「感じ」に非常によく似ています。

このように書くと、「忙しいのにそんなの二度と嫌だよ」という方も多いかと思います。

その通りです。忙しい中で時間を切り詰めてやるには、ラテン語は適しません。何しろ古典語ですから。

しかし、少し思い返して頂きたいのですが、九九を憶えるときに机に向かって紙とえんぴつで憶えたでしょうか?どちらかというと、声に出して唱えることで身体で憶える、という感覚だったのではないでしょうか?

ラテン語に限らず、語学の初歩ではこの感覚が非常に重要です。

お風呂でも構いませんし、料理や工作の合間でも構いません。ちょっとした隙間のタイミングを使って暗記事項を「頭に思い浮かべる」こと。これが肝です。

もちろん、間違って憶えては逆効果なので、あやしいと感じるところは繰り返し確認します。憶えたことは定期的に紙に書き出してチェックします。

実はこれ、要するに学校でやってきた王道なのですが、人から押し付けられてではなく、自分からモチベーションをもってやると、なかなかどうして楽しいものです。

最初のうちはなかなかうまく思い出せないかもしれませんが、日常生活と勉強の間に無意識に作っている壁を取り払って取り組めば、確実に頭に入ってゆきます。それもそのはず、2000年以上もの間、ヨーロッパでは子供が勉強して身に付ける対象だったのですから、その気になれば大人に憶えられないはずがありません。

福井県が世界に誇る禅寺、永平寺では、「生活そのものが禅の修行」であるといいます。これが単なる言葉だけのモットーではないことは、床から階段から、至るところに行き届いた掃除の心遣いから伝わってきます。

掃除をしているときに雑念が入りにくいように、丸暗記にも似たような効能があります。部屋がきれいになるわけではありませんが、頭の中がすっきりします。ひとたびコツを掴んでしまえば、暗記がきつい苦役どころか、心地よい脳みそのマッサージであると気づきます。

暗記で全てが解決するなんていう魔法のようなことはありませんが、生活に暗記をひとしずく加えることは、頭が若返るスパイスになり得るのではないでしょうか。

当教室ではその第一歩から、丁寧にサポート致します。

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